自信と勇気も、
恐怖や不安と全く同じようにして生まれてきます。
目標となるものが違うだけで思考回路は同じです。
どうせあれこれと考えることになるのなら、
建設的に考えてみる方が断然良いですよね。
まずは、
できるだけ望ましい結果を思い描きましょう。
「もし」から始め、
「もし、起こりうる最良の結果になったら」
と考えてみましょう。
次にそれが起こりうると自分に言い聞かせましょう。
この段階では、
「起こるだろう」
ではなく、
あくまで「起こりうる」です。
要は、
そうした望ましい結果がありうると、
自分に気づかせることが大事です。
この楽観主義と自信をだんだんと取り込み、
心の中で消化していきましょう。
望みどおりの結果が確かにありうると思えたら、
その望ましい結果がどんなものかイメージしてみましょう。
このメンタル・イメージを入念に行い、
細部まで正確に描写します。
それをホントしつこいくらい繰り返します。
そうしてメンタル・イメージの具体性が増すと、
すでに望ましい結果になっているかのように、
次第にそのイメージにふさわしい感情が現れてきます。
昔、
ヨーロッパの勇猛果敢な将軍の話が有ります。
戦闘を前にして恐怖を感じたことは有りませんかと質問されたとき、
大事な決戦の前や、
ときには戦闘のさなかにも、
恐怖を覚えることはよくある、
と答えています。
しかし、
そのあとに、こう付け加えています。
「恐怖を相談相手にしたことはないね。
誰もがときどき感じるものだが、
大事なことに取り組む前にネガティブな敗北感、恐怖や不安を感じても、
それを失敗する兆候ととらえてはいけない。」
失敗するかどうかは、
私たちが敗北感にどう対応し、
どんな態度を取るかによって決まってきます。
敗北感に耳を傾けたり、
従ったり、
相談したりしたら、
間違いなく失敗してしまいます。
その敗北感が真実とは限らないにもかかわらずですよ。
まず、
恐怖や不安や自信のなさといった敗北感は、
神のお告げではないと理解しましょう。(苦笑)
それは私たちの星回りでもなければ、
絶対的な真理でもないのですから。
失敗が定められているという運命でもないのです。
これは、
私たち自身の心の中に生まれるものですが、
私たちの内なる態度を示しているだけで、
不利になるように仕組まれた外部の事実ではありません。
自らの実力を過小評価し、
目の前の障害を過大評価して、
過去の成功の記憶より失敗の記憶をよみがえらせてしまっているのです。
このような不安感が芽生えた時は、
危険を予知するアンテナにサインが送られ、
成功へと導いてくれたのだと思いましょう。
不安を不安そのもだと考えてしまうことこそが
敗北感の正体なのです。
未来の出来事についての真実を表しているわけではなく、
ただ未来の出来事に関する自分の心構えを表しているだけなのです。
これさえわかっていれば、
こうした敗北感を受け入れるのも拒むのも、
自由にできます。
敗北感に従って相談するのも、
無視してそのまま進むのも、
私たちの自由なのです。